泉鏡花(本名・泉鏡太郎)は、1873年(明治6)11月4日、このバス停がある大通りの裏の金沢市下新町(現在の泉鏡花記念館の場所)で生まれました。尾崎紅葉に師事して文壇に登場した明治時代半ばから、亡くなる1939年(昭和14)までに小説、戯曲を300編あまりも世におくり出しました。その幻想と浪漫に彩られた作風は、芥川龍之介、里見弴、三島由紀夫、澁澤龍彦など多くの文学者を魅了しました。
1896年(明治29)11月から12月にかけて「読売新聞」に連載されました。隣家の年上の美しい女性広岡雪(ゆき)と、能の女役者である小親(こちか)の間で揺れ動く少年貢(みつぎ)の葛藤を描いた物語です。親がいない少年が年上の二人の女性から愛されるという筋には、鏡花の聖母崇拝的傾向が色濃く出ている作品です。
『照葉狂言』は江戸時代に始まった芸能で、ここ金沢でも何度かその興行がありました。金沢で照葉狂言興行のあった場所は、鏡花の生地に近い空き地です。そこで1883年(明治16)に林寿三郎一座が興行しており、この一座にいた林小親という女役者が小親のモデルと考えられています。また、そしてお雪は鏡花にとっての永遠の憧れの女性であった湯浅しげがモデルであるとされています。
引用にある「町」は、鏡花が育った町である下新町を指すと言われています。鏡花は自分が遊んだ明治初期のこの界隈を懐かしく描いています。引用文の後にも、鏡花らしい流麗な綴りで街の風景が描かれており、浪漫的世界観を十分に感じさせます。鏡花の生家跡に建てられた泉鏡花記念館の周辺には、かつて鏡花も登っただろうあかり坂、暗がり坂が今でも残されています。彼の世界に想いを馳せるきっかけになるのではないでしょうか。
【問い合わせ先】
〒920-8577 金沢市広坂1-1-1 金沢市文化政策課
TEL 076(220)2442 FAX 076(220)2069
Copyright : 2020 Kanazawa City・Kanazawa Gakuin University All Rights Reserved.