徳田秋声(本名・徳田末雄)は、1871年(明治4)12月23日、金沢市横山町に生まれました。鏡花とおなじ養成小学校(現・金沢市立馬場小学校)に通いました。文学においても鏡花と同じ尾崎紅葉のもとで修業しました。しかし、作風は鏡花とは対照的に派手さはなく客観的な描写で、いぶし銀のような渋い魅力を発する日本の自然主義を代表する作家となりました。1943年(昭和18)に亡くなりました。
「挿話」は、1925年(大正14)に雑誌『中央公論』に発表されました。次兄、正田順太郎の病気見舞いのために帰郷した際に、東の廓(現・ひがし茶屋街)で芸妓屋を営んでいた遠縁にあたる女性の家で20日ほど過ごした体験が基になっています。そこで生まれる大人同士の密やかな恋の機微が描かれています。
「挿話」の主な舞台である主人公が滞在する家は、実際は「岩津井」という芸妓屋です。東山1丁目にあり、今は民家となっています。主人公道太は、その家で20日ほどを過ごす間にお絹に心を寄せるようになります。お絹も道太に好意があるようなのですが、何事かが起きるわけではありません。そのうちに妻から子供が病気ですぐ帰るように、との電報が届きます。
金沢駅が開業したのは、1898年(明治31)ですが、できて10年ほどたったころのまだ淋しい駅前の様子が、秋声の「甥」で描かれています。
最後の場面です。道太は東京に帰る汽車に乗っています。見送りはしないと言っていたお絹ですが、発車間際に姿を現します。このあと作品は次のように結ばれます。
「道太は少しずつ落着いて来ると同時に、気持ちがくすぐったくなって来た。二十日ばかりのお絹との接触点を振返えると、今でもやっぱり彼女は謎であった。」
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